国際農業者交流協会TOPページへ

TOP > 海外からの便り > 研修生便りバックナンバー > バックナンバー

国際農業者交流協会TOPページへ

TOP > 海外からの便り > 研修生便りバックナンバー > バックナンバー

「俺のアメリカ」・・・その2

大庭充裕(米2/福岡県出身)

 

私の家は農家です。幼い頃から父、母に連れられて、遊ぶことなく仕事を手伝う。飽きると近くにある鍬やスコップを取り遊び道具として使ったり、父や母のする仕事を真似てみたりしました。この頃が私の農業、仕事の原点だと思います。父や母、近所の農家の人達が簡単そうに使っている鍬やスコップを見て、自分も使っていた頃。使っても使ってもうまくいかずに、それでも投げ出すことなく使って遊んだ道具。ただ、ガムシャラに人を真似、自分が納得するまで離さない。何でも一生懸命になれた頃だった。嫌いな事さえ嫌いと気付かずただガムシャラに一生懸命になっていた。凄く大切なことだったと思います。知らない内に沢山の体験が出来ていた気がします。

それが、中学生、高校生になり家の手伝いも嫌々。殆ど自分の好きなことでしか一生懸命になっていなかった。そんなことでは好きなことでさえ一生懸命にはなれてなかっただろうと思います。しかし高校の途中で母が入院。仕事が出来ない母に代わりに父と一緒に仕事をする機会が前より多くなりました。

家の仕事の大変さを身を持って感じ始めた頃、「家を手伝うのは当り前だ」と考え方も変ってきました。嫌いな事ほど自分から進んでやらなければいけない。誰もやらない様なことを自分から進んでやろう。自分がすこしでも頑張れば仕事も少し進み皆が助かる。そう思と嫌いなこともそう嫌いではなくなりました。そして今は、嫌いなことも逆にイイ体験やチャンスを生んでくれる様な気さえします。

この後です。私が、農業をしようと思ったのは。父と一緒に仕事をする様になり、父母のことを本気で真剣に尊敬する様になりました。私の中で、父母は世界で一番仕事の出来る人です。もしも仕事でオリンピックがあるのならば私は、父母に金メダルを挙げます。こんな父母のように仕事の出来る人になりたい。少しでも父母に近づいていきたい。家の手伝いをやっと真剣にやりだした頃です。この様な気持ちの変化があった高校時代。やっと家の仕事を真剣にやりだした頃。そんな私に、父の様な仕事が出来るはずがありません。しかし、真剣な気持ちになって仕事をやりだし、前より沢山のことを得る事が出来ていることと思います。

父と一緒に仕事をしていくうちに、自然と父の動きを観察して目で追う様になりました。最初は、手や足の動き、腰や頭、そして体全体の動きを観察しながら仕事をするようになっていき、父の眼の動きまでも追う様になりました。こんなに仕事の出来る人の眼は毎日どこを見ているのだろう? 色々考えていました。父の仕事を追いながら、自分も真似して何回も繰り返してみる。そして自分に合った仕事にと変えたりもする。こんなことをしている毎日、仕事の要領も良くなっていき、仕事も前より進むのが早くなり、覚えも早くなって行く様な気がしました。

今まで、考えもしなかった様なことが真剣になった日からどんどん増えていっている気がします。ちょうどこの頃です。私が本気で農業を好きになり、「俺も農業がしたい」と思ったのは。「一人の農業者として、誰にも負けない農家になろう」と思いました。今、私は農業が好きでなりません。


ここに来てメキシカンと言う凄い労働者に出会った。今までにも沢山の人の刺激を受けて仕事をしてきた。これからもそれは同じです。しかし、私には沢山の目標がある。だからこそ私も日本の農業者の一人としてメキシコ人にも誰にもこれから負けても負けられません。私の目標の一番に父母の様な人が居る。子供として、何があっても諦めることはこれからも出来ません。だからメキシカン達にも一人のライバルとして意識が高まっていきます。今までの経験も全部だし、今から覚えていく沢山の経験を武器に、力を十分に発揮して、メキシカン達にも負けずに仕事が出来る自信もここでつけていきたいです。

ここでのレタスの収穫は、私にとってメキシカンと競い合う一番の楽しみでした。ここに来て初めて入ったレタスのクルー。3ヶ月と少ししかなかった日々、Picker達と競い合い収穫する日も多くありました。ただその頃は、競い合いとは言えませんでした。まだまだこれからです。しかし、私は日本人。メキシコ人の仕事をしてメキシコ人と競い会っても駄目です。日本で通用しないといけません。日本人としてメキシコ人に挑戦し、色々なことも吸収して、日本では日本人以上の仕事が出来たら良いです。

レタスの仕事も終り、ピーマンの定植、セロリの定植、畑作りなどの仕事をしていく中でもこの農場で色々なことを学び、経験していく事が沢山ありました。そして、今一年が経とうとしています。レタスの時期はもう直ぐです。メキシカン達の勢いに押されて終った一年前。今年のレタス収穫も始まります。今年はまた新しい気持ちでぶつかっていけます。今度はメキシカン達にも「Japaneseはやるな〜!」と沢山いわれる様に頑張りたいです。楽しい目標の一つです。

アメリカに来て1年5ヶ月。多くのことを学ぶことが出来ています。長い様で短いアメリカ生活。悩み、考え、落ち込んだ日々が沢山ありました。しかし、アメリカに一緒になって飛び込んだ75人の研修生。そして日本の友達や、ここのメキシカン達。そんな見えないライバル達が頑張っている。自分が悩む間にも、ライバル達は、直ぐに先に行ってしまう。そう思うと悩んでなんかいられません。ただガムシャラになってでも自分自身と戦い今も頑張れずにはいられません。アメリカにきてこんなに素晴らしい体験が出来るなど日本にいる時は想像もできませんでした。

こんなに素晴らしい体験が出来ている影には、周りに居る沢山の人々が助けてくれているからです。私が倒れそうになってもひっくり返す勢いで背中を休むことなく押してくれる。私達は、こんな中で本当に素晴らしい体験をさせてもらっています。それを十分に理解して、返そうと思っても返せないこの恩を今度は私達が次の世代や未来の沢山の人達に教えていきたいです。そして沢山の人々に感謝しなければなりません。本当に感謝しています。

アメリカ生活も残り7ヶ月。しかし、この7ヶ月の方が辛く厳しくそして楽しい研修である様に努力したいです。先にある未来はもっと楽しく厳しいものであると思います。それに負けない自分の心と力をもっともっと大きくしたいです。ここに来た事は消して特別なことではありません。自分に満足することなく、自分にあまえず、自分に厳しくそして人には優しくしていきたいです。日本に帰ることはゴールではありません。日本に帰ってからがスタートです。このスタートが最高の状態で切れる様にこれからも沢山の準備が必要です。そしてゴールを切ることなく走り続けていきたいです。

今年の研修生のキャッチフレーズは、「Bigな男になって帰ろうぜ!」。

そうなれる様に精一杯、力を出していきます。

皆に笑顔で再会するのが、今一番の楽しみです。誰の笑顔にも負けない顔になってみんなと喜び合いたいです。今後もアメリカで研修生魂を思いっきり出して、自分をもっと沢山好きになって日本に帰りたいと思います。

 
 
(2003年6月渡米、2005年6月帰国予定)
 
 
※この原稿は『北米報知新聞12月25日号』に掲載されたものです。