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ここから見えてくるもの

内山 智 (米2/新潟県出身)

 
 

 私は、カリフォルニア州サリナス・サカタシードアメリカ研修所で農業実習を行っている。

 ここは、穏やかな気候であるため、サラダボールと呼ばれレタス・ブロッコリー・カリフラワー・キャベツ・イチゴ・切り花の生産が多い。この会社の周りは、畑で囲まれ見晴らしが良いが、夏の早朝はほぼ毎朝霧に包まれている。季節が変わり始めて来たせいか、早朝から快晴の日が増えてきたような気がする。冬になると、キッチンの窓からまぶしいほどの朝日が注ぎ込み一日の始まりを教えてくれる。ここに来たときの朝日を思い出し、ここでの生活ももう少しで一年経とうとしている事を感じさせてくれる。

 ここの会社はいくつかの部門に分かれており、現在、トマトとニンジンの部門を担当している。

 トマト部門では、以前から品種改良を行っていたがこれらをフロリダの研究所へ移動させることになり、倉庫内の種のパッキングなどを行った。今後は技術営業的な部門として、商品としてほぼ出来上がった種の最終テストを消費者のフィールドで行うことが主要な仕事である。私の仕事は、数名のメキシカンをお客さんのフィールドへ連れて行き、皆で何百種類もあるトマトを収穫し並べる作業。トマトは暖かい環境を好むので、必然的に栽培環境は人間にとって厳しい環境になる。これらの収穫作業は、炎天下の中、同じようにしか聞こえないメキシコの音楽を聴きながら行う。その後、ブリーダーによる評価・お客さんへの商品説明へと進んでいく。

 一方、ニンジンの部門では主に品種改良を中心に行っている。この時期はニンジンの花が小麦色に枯れだし、さまざまな大きさのケージの中でその花の収穫を行っている。だが、この花には大量のアブラムシが付着しており、収穫の際、手の内側は多量のつぶれたアブラムシがこびり付き、体中に羽の生えたこれらが付きまとう。初めのうちはとても気持ちが悪いがそんなことも言っておられず、黙々と作業をこなす毎日が続く。

 社員の多くは米国人だが、ヨーロッパ・中国・韓国出身の者もいる。また、忙しいときには数名のメキシコ人を雇う。ここでは、多国籍の人々に囲まれながら仕事をしている。日本にいたとき、日本には日本人・米国には米国人(白人)という感覚があった。たとえば、この地域は思ったほど東南アジア人がおらず、自分たちは珍しい存在なのだろうと思っていた。だが、米国人からすれば、ただの他人種に過ぎないし、英語が喋れなくても珍しいとも思わないのだろう。

 日本は、日本人でほとんど占められて、ほぼ全員が日本語を話すのが一般的。この違いがなかなか受入れられなかった。ここでは、いろんな言語が飛び交う。それが米国なのか? 小学生の頃、この国は人類のるつぼであると習った事を思い出した。私の身近にいるほとんどのメキシコ人は、数年または数十年ここで生活しているがほとんど英語が喋れない。ほとんどが話そうともしない。さらに彼等の中には、学校を出ていない者もいるそうだ。メキシコ人の仕事は、低賃金で3K職(きつい・汚い・危険)に成らざるをえない。

 米国は、実力主義といわれ国籍に関係なく努力し成果を認めてくれる国と言われている。しかし、彼等のほとんどが教育やスキルを得て高収入を得るという概念がないようだ。その点を利用され、米国の農業は、安い労働力により支えられているのだろう。労働力・農地に関して日本の農業がいかに厳しい環境にあるかしみじみ痛感する。ここでの生活で、米国人とは? メキシコ人とは? 日本人とは? 見えてくるものがある。私は、几帳面で働くのが好き(趣味のための休暇はもっと必要)で納豆・梅干好きな典型的な日本人であると思う。



 
 

※この原稿は『北米報知新聞2006年10月18日号』に掲載されたものです。

 
   


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