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アメリカ体験記

清水洋人 (米2/京都府出身)

 

 六月下旬に渡米し、約一ヶ月半はWashington 州Moses Lake 市のBig Bend Community College で集中的に基礎英語会話とアメリカの生活習慣を学んだ。周辺の農場地帯及び農場関連施設の視察見学(フィールドトリップ)、ソフトボールの試合、ショッピングなど様々な行事があり非常に有意義に過ごすことができた。

  アメリカに来たときは、何から何まで違った。日本とアメリカでは言葉が違い、町が違い、食べ物が違い、文化が違い、意識が違う。特に食べ物に関して言えば、アメリカの米は非常にまずい。そして飲み物もほとんどがコーラなどのソーダ系が非常に多く、あまりお茶を飲む習慣がないみたいなので、当初は非常に困った。研修生はここMoses Lakeの大学にいる間は大学内の寮で生活し、その間はまるで日本にいるような雰囲気だった。夏のMoses Lakeは日照時間が長く日が暮れるのが大体10時くらいなので、研修生とよく日が暮れるまでバスケ、サッカーなどスポーツをして楽しんだ。あっという間に一ヵ月半が過ぎ、八月の初旬から十月までの三ヶ月間は各自の専門コースに関係なく複数の研修生が一緒の農場に配属され短期農場実習を行った。Washington州、Oregon州、Colorado州、Idaho州などにそれぞれ研修生が配属された。

 短期農場実習はWashington州のBrewsterという町の中にある果樹農家に配属された。そこは約
4,500エーカーほどの果樹畑を持ち、おもに、りんご、梨、チェリーの生産をし、海外にも輸出するぐらい大規模経営をしている農場だった。収穫時期には最大で1,500人ほどのメキシコ人労働者を雇い、町全体がメキシコ人労働者でにぎわい、まるでメキシコに住んでいるような気分になる。毎日メキシコ人労働者と一緒に働き、メキシコの文化、生活、言葉などを学ぶことができた。

  初めの仕事は夏場、気温40度の中、チェリーの収穫のときに使われたバケツ約1万個以上を手洗い。本当に気が遠くなる作業だった。八月下旬から九月初旬は、りんごの収穫に使う木の箱(Bin)を果樹園にセッティング。その数約1万個。とにかく日本では見たこともないほどの広大な果樹園で本当にあの光景は一生忘れることができない。

  九月から十月は本格的なりんごの収穫が始まり、tractor driver, levelingの作業を行った。
朝早くから夜遅くまでメキシコ人労働者、同じ日本人研修生とともに仕事をし、日本人研修生は一軒家で三ヶ月間生活をし、お互い助け合いながら三ヶ月間の短期農場実習を過ごした。この短期農場実習は肉体労働中心の生活、そして報酬を得る以上時には農場主からの厳しい要求もあったが、そのときは同じ日本人研修生と協力しあいその場を乗り越えてきた。この三ヶ月間ともに過ごしてきた日本人研修生は終生付き合っていくことができるくらいの人間関係を築くことができ、本当に貴重は経験でもあり自分自身の財産でもある。

 短期農場実習が終わり十一月から十二月まではまたモーゼスレークに戻り、日本人研修生と約一ヶ月半英会話の勉強を中心に、米国農業の概要、農業に関する専門知識を授業中に習った。また、地域の人々との交流会やホームステイ、旅行などの機会もあったのでアメリカの文化を改めて学ぶことができた。第二次学課研修も終わりに近づいた頃、研修生全員で先生方、地域住民の方々に感謝の気持ちをこめてパーティーを開いた。それは見事大成功を収め本当にいい思い出になった。とにかくこの第二次学課研修もあっという間に終わり、今長期農場実習が始まったばかりだ。

  長期農場に出発する前、Moses Lakeで同じ仲間たちと挨拶を交わし、また、一年半後に再会する約束をし、寂しいながらもバス乗り今、Los Angeles 近郊のSan Gabrielという町にある花屋で働いている。今後、厳しさや、辛さに耐えなければならないこともあると思うが、そのときこそ忍耐心、継続的な努力心、そしてチャレンジする気持ちを忘れず自分の能力を最大限に発揮し、そして、楽しく有意義なアメリカの生活を送れるようにしていきたいと思う。

 
 
※この原稿は『北米報知新聞1月15日号』に掲載されたものです。