『ベネズエラ滞在記』
〜連載 第4回〜


 JICA職員としてベネズエラに赴任された小金丸梅夫OB(千葉/S44/米1)からメールが届きましたので、ご紹介いたします。

ベネズエラ近況報告(4)

 親愛なる皆さんへ

 今回は3月末に赴任してくる新協力隊員の住居の事前チェックと、既存隊員活動現場視察を目的に、我事務所の安全対策アドバイサー(元警察庁幹部)と二人で実施した、カラカスの東隣アンソアテギ州ヘの出張報告をお届けします。先週木曜日早朝5時30分、タクシーで自宅出発、6時15分カリブ海岸にあるカラカス空港着。8時40分空港離陸、飛行時間45分でカリブ海沿岸のバルセロナ市へ。空港出迎えのNGOドン・ブスコ教団の責任者の運転する車で東行20分、プエルト・ラ・クルス市にある同教団の全寮制職訓施設へ。施設と隊員住居をチェックした後、午前11時平均時速110kmのタクシーで一路南下、途中アナコ市でNGO「信仰と喜び」のアンソアテギ地域事務所長と合流し、彼の運転する車に乗り換えて南進。途中カンポ・マタという小さな村の同NGO活動施設の新隊員用住居をチェック。更に南下して最終目的地エル・ティグレ市に午後5時到着。直ぐに二人の協力隊員(放送技術、パソコン指導)の活動現場である同NGO事務所視察。エル・ティグレ市に一泊し、翌朝6時半ホテル発、郊外の飛行場を8時半に離陸、カラカスに9時15分着、11時に自宅に帰り昼食後の出勤時間午後2時にJICA事務所出頭という、一泊二日の超忙しい出張日程でした。首都カラカス市には金髪肌白の白人が多いのですが、アンソアテギ州の人々は熱帯低地のためか、インディオとの混血が進んだためなのか黒髪日焼け浅黒の人達が多く見られました。

 出張の様子を、カラカスから順順簡潔に補足説明しましょう。カラカス空港への道で驚いたのは、未だ暗いのにカリブ海岸からカラカスへの自家用車出勤の長蛇の列。ガソリンが世界一安い(リッター5円)ため、カリブ海岸住民の多くが毎日カラカスへの自家用車通勤するためだとか。

 プエルト・ラ・クルスにあるNGOドン・ブスコの全寮職訓施設は敷地がコンパクトで近代施設が整っていて、治安対策もバッチリでした。実習室、食堂、診療室、寮、全天候型運動場などが整っています。新隊員2人(花卉、冷凍機器・空調)にとって24時間施設缶詰めの生活は、退屈かもしれませんが、キリスト教団施設なので、信仰心が厚いのか人柄が良さそうなスタッフがそろっていて一安心です。このNGOに隊員が入るのは初めてなので、成果が上がれば同教団の他の任地からも隊員派遣要請が上がってくるかもしれませんね。

プエルト・ラ・クルス市にあるNGOドン・ブスコ教団施設

 プエルト・ラ・クルスは名前のとおり港町ですが、時間切れで港を見学することはできませんでした。しかし道路沿いに運河が続き、玄関口からヨットやモーターボートに乗れる瀟洒な別荘郡がビッシリ続く分譲マリーナ・リゾートがあって、流石は石油成金国だと思いました。

 バルセロナ、プエルト・ラ・クルスからアナコ、エル・ティグレまでの地形は殆ど高低差を感じさせない平坦低地。驚いたことはエルティグレまで2〜300kmの区間、山がない、川がない、360度地平線から地平線まで低潅木林が延々と続く平坦地。確かに乾季雨季があり地味も肥えてはいないようだが、機械化農業にはもってこいの地形。それなのに”農業”が全くみられないことにがっかり。20〜30年前政府が、道路沿線に大規模な土地区画をし、営農融資をつけて多数の中小農家を入植させたのだが、農民は皆その金を食ってしまって作付けする者は一人もいなかったという、農村開発失敗例を聞きました。ベネズエラ人はオイルマネーに目がくらみ、農業みたいなハードワーキングを嫌う気質が強いと言われているそうです。もし中南米近隣国みたいに50〜100年前に日本人農業移住者が移住していたら、今頃ベネズエラは大豆の輸出国になっていたと思いましたね。因みにベネズエラの国土は日本の約2.5倍で人口は3分の1以下なのに、食料自給率は30%と言われている農業軽視の国で、凄いポテンシャルはあるのに未発達の国なのです。あ〜あ〜もったいない。地表に農業がなくても地下には石油と天然ガスが眠っているらしく、数本の油送管が道路と並行して延々と走っていました。

カシューナッツの実

 カンポ・マタの村は小さな部落で、ここでもNGO"信仰と喜び”が村落開発のボランティア−事業をやっています。人の良さそうな60過ぎのおばあさんと30過ぎの活発な女性が、新隊員の赴任を楽しみにしていました。隊員が入る家は3LDKの大きな平屋で戸締りも鉄柵がついており安心しました。気候と土壌があっているためかマンゴーの巨木と、大柄で立派な実をつけたカシューナッツの木が元気に育ち、カラカスの樹木より咲き誇りが立派な熱帯の花木も見られました。5月から村落普及員として女性隊員が一人この村に入りますが、村人達が果樹育苗と接木にチャレンジするなら、私の専門がそれなので、巡回指導もしてあげますよと言って大変喜ばれました。

カンポ・マタ村の庭木は花満開
 エル・ティグレ市は人口10万未満の地方都市ですが、中心街に全国3位の大きな正方形の公園があって、木々の日陰の椅子に座って多くの人が憩い会いデイトしていました。隊員の一人はNGO"信仰と喜び”事務所の美人そろいの女性スタッフにパソコン指導をし、もう一人はラジオ放送機器のメンテナンス指導を行っています。この街に住む日本人は隊員2人だけで評判は大変良く、大いにモテルそうです。私の初めての海外活動は米国アイオワ州の酪農家でバカ(乳牛)飼育だったので、隊員達のチカ(娘)を相手としたパソコン指導が羨ましい、バカとチカは大違いだと冗談を言って大いに笑わせました。夕食は隊員、NGO幹部、我々出張者全員6名で、中華料理の円卓を囲み大いに盛り上がり1日を終了しました。聞けば中華料理は5〜6軒、日本料理〔もどき)も一軒あるそうです。最近中国人の増加が目立つそうです。そう言えば翌朝同じカラカス行きの飛行機で出会った6人の中国人ビジネスマンと、キューバ人グループからして、この国とキューバ、中国との政治的急接近を肌で感じる気がしました。

 来週は西北部ファルコン州で頑張っている協力隊3人の活動現場を訪問し、その結果を報告しますので、ご期待ください。

おげんきで!

小金丸拝




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